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音楽レッスン帳

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古典派音楽

 古典派音楽とは、17~18世紀のバロックと、19世紀のロマン派の間に位置づけられ、18世紀中ごろから19世紀初頭にかけての音楽様式です。オーストリアの首都ウィーンが活動の中心であったことから、「ウィーン古典派」ともよばれます。

 ヨーロッパでは、17世紀ごろから古代ギリシャやローマの芸術を規範とし、調和や普遍性をめざす芸術運動とする古典主義が文学や美術でおこりはじめます。音楽における古典派は、直接的に古典主義運動の影響をうけたわけではありませんが、論理的で調和のとれた形式が確立した点は共通しています。代表的な作曲家は、ハイドンやモーツァルト、ベートーヴェンで、とくに彼らの時代を「盛期古典派」とよび、それ以前の時代を「前古典派」とよぶこともあります。また、19世紀末から20世紀にかけて、ストラヴィンスキーらを中心としておこった「新古典主義」とは、明確に区別されます。

 この時代のヨーロッパの社会体制は、絶対王政から近代民主主義へと移行する激動の時期にあたり、古典派初期には、音楽家たちはバロック時代と同様に王侯貴族のために作曲し演奏するのが一般的でした。その後しだいにフリーの音楽家も登場しはじめ、1789年のフランス革命により市民階級が台頭すると、一般市民に音楽を教えたり、楽譜を販売したり、演奏会を開催して生計をたてることも可能となりました。 このような社会体制の変化の影響により、とくに大きく発展したのが器楽の分野です。

 古典派は、バロック時代の装飾や、過度の感情表現を排除し、調和のとれた形式を生みだしました。その代表が複数の主題の展開を原理とするソナタ形式です。提示部-展開部-再現部の3部分から構成され、主調と属調の対比を明確な図式にしめしたソナタ形式は、当時の音楽に広く浸透し、さまざまな音楽の土台となりました。 これまでの連続性を好むバロックから、明確な部分を強調することでコミカルさをかもしだしたことが古典派音楽の大きな特徴といえます。バロック時代でも、ある民謡の旋律を使うというパロディがありましたが、古典派では音楽の内部だけで面白さを可能にしたのです。

 この時代に確立した器楽様式として、ソナタ、交響曲、協奏曲、弦楽四重奏曲などがあげられますが、それ以降の音楽に大きな影響を与えました。これらの音楽は、公開演奏会でも数多く演奏され、楽譜も盛んに出版されました。

 声楽の分野では、ドイツ歌曲がハイドンやモーツァルトにより確立されます。オペラでは、グルックが1762年の「オルフェオとエウリディーチェ」などにより歌詞と音楽の調和をめざした「オペラ改革」をこころみます。グルック以降、オペラでも合唱や器楽演奏が重視されるようになりました。古典派の時代の初期までは、宮廷劇場で上演されるオペラ・セーリアが主体でしたが、大規模な宮廷オペラはしだいに敬遠されるようになり、かわって発展してきたのが喜劇的なオペラで、新たに登場した巡業歌劇団や民間劇場で上演され、市民の人気を集めました。

 ソナタ形式の発展にもっとも寄与したのは交響曲ですが、イタリア・オペラの「シンフォニア」とよばれる序曲が進化したもので、前古典派時代のワーゲンザイルやモン、J.S.バッハの息子たちが盛んに作曲し、「交響曲の父」と称されるハイドンへ受け継がれます。また、弦楽5部構成の確立やクラリネットなど新しい管楽器が登場し改良されたことにより、オーケストラの編成が大きく発展し、表現力も飛躍的に豊かになりました。

 ハイドン(1732~1809)は、生涯の大半をオーストリアのアイゼンシュタットに居城をもつエステルハージ侯爵につかえ、108曲の交響曲などをとおして、古典派の可能性を発展させました。モーツァルトとベートーヴェンは定職にはつかず、作曲料や演奏会の入場料、楽譜の出版、個人教授などで生計をたてました。モーツァルト(1756~1791)は、室内楽曲、協奏曲、交響曲、オペラなど多数のすぐれた作品を残し、ベートーヴェン(1770~1827)は、内面的感情を描写した9曲の交響曲をはじめ、丹念に推敲された作品を作曲し、ロマン派の作曲家たちにも大きな影響を与えました。

 交響曲の第3楽章は、ハイドンまではメヌエットが置かれることが通例でしたが、ベートーヴェンによってメヌエットの代わりにスケルツォ(もともと、冗談、ひやかし、いたずら、という意味をもつ)を置くという試みもされました。また、ハイドンにしても、6曲からなる作品33の弦楽四重奏曲『ロシア四重奏曲』すべてにスケルツォを使っています(『スケルツォ四重奏曲』と呼ばれることもあります)。このほかに、強弱や音域のコントラストといったコミカルさがあげられ、これまでの惰性で進むバロックに対して、推進力を与える古典派音楽は、「冗談」という発想と馴染む時代であったといえるでしょう。






ハイドン:弦楽四重奏曲 第38番 変ホ長調 op.33-2 から
(ロシア四重奏曲 第2番 『冗談』)

第1楽章 Allegro Moderato






ハイドン:弦楽四重奏曲 第38番 変ホ長調 op.33-2 から
(ロシア四重奏曲 第2番 『冗談』)

第2楽章 Scherzo (Allegro)






ハイドン:弦楽四重奏曲 第38番 変ホ長調 op.33-2 から
(ロシア四重奏曲 第2番 『冗談』)

第3楽章 Largo e sostenuto






ハイドン:弦楽四重奏曲 第38番 変ホ長調 op.33-2 から
(ロシア四重奏曲 第2番 『冗談』)

第4楽章 Finale (Presto)




(2008年執筆)



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[ 2010/12/22 10:38 ] 音楽史 | TB(3) | CM(0)

バルトークについて

バルトーク・ベーラ Bartók Béla (1881-1945)

 ハンガリーの作曲家、民族音楽学者、ピアニスト。ハンガリーとその周辺諸国の民謡を収集・研究し、民謡研究の成果と西欧芸術音楽の伝統、20世紀初頭の新技法を融合した独特の作風を確立。20世紀前半を代表する作曲家である。



【時代区分】
~1905年
 習作期。ブラームス、リスト、ワーグナー、R・シュトラウスから影響を受けた後期ロマン派様式をみせる。
多くは先人達同様にジプシー音楽的な要素を取り入れる形。
1906年~1923年頃
 コダーイと共にハンガリー王国の各地から民謡収集を行い、民謡を編曲したピアノ曲などを作る傍ら、民謡の語法を科学的に分析した形で作品に取り入れ始めた時期。また、民謡以外にもドビュッシーやストラヴィンスキー、新ウィーン楽派など当時の最先端の音楽の影響も強く反映されているが、末期には民謡の語法を消化し、独自のスタイルをほぼ確立。
1926年~1930年頃
 無調的な和声と、強烈な推進力を伴う緻密な楽曲構造を特徴とする作品が多い。
バロックや古典派の影響など、新古典主義の流れに乗っている面も見られる。
1930年~1940年
 円熟期。前時期の緻密な楽曲構造を引き継ぎながら、和声的にはより明快で、より新古典的なスタイルを打ち出した時期であり、数々の傑作が生まれる。
1943年~1945年
 アメリカ時代。平明な新古典主義的傾向が著しく、細かい動機よりも旋律的な要素を重視する傾向。



【人 物】
 バルトーク(1881-1945)はハンガリー南部のナジセントミクローシュ(現ルーマニア領)に生まれた。アマチュア音楽家で農業学校の校長であった父は1888年33歳で病死し、以後一家は転々と居を移し、ピアノの巧みな母が音楽教師をして生活を支えた。バルトークは幼時から非凡な楽才を順調に伸ばし、11歳で自作のピアノ小品やベートーヴェンのソナタを公開演奏会で弾くまでになった。
 ブタペスト音楽院在学中(1899~1903年)は、レーガーのいとこに当たるハンス・ケスラー(1853―1926)に 作曲、フランツ・リストの弟子トマーン・イシュトバーン(1862―1940)にピアノを師事。在学中優秀なピアニストと評価される一方、作曲面では、R・シュトラウスの《ツァラツストラはかく語った》から衝撃を受けて創作意欲を燃やした。卒業の年、民族独立運動の高まりに刺激を受けて、ハンガリーの国民的英雄の生涯を題材にした交響詩《コシュート》を書き、大成功を博した。
 1905年、パリのルビンシュタイン・コンクールに参加したが、ピアノ部門ではバックハウスに次ぐ第2位にとどまり、作曲部門でも入賞を逸した。しかし、ハンガリーでは知られていなかったドビュッシーの音楽を知るという収穫を得ることができ、また民謡について科学的アプローチを始めていたコダーイに出会い、1906年から共同でハンガリー農民音楽の収集研究を始める。以後第一次世界大戦で調査活動が不可能になるまで、ハンガリー国内をはじめ、セルビアやルーマニア、ブルガリア、スロバキア、さらに北アフリカにまで巡り民謡採集を続ける。当初、民族運動の音楽面での実践として政治的関心から民謡に向かったが、作曲家としてのバルトークは、こうして収集した民謡を、多くの著作や編曲を含む様々な形で紹介するだけでなく、その音組織やリズムなどの構成要素を分析、抽出して自己の音楽語法の基礎に据えた。 技法上はドビュッシーの印象主義やシェーンベルクの表現主義の影響を受け入れつつ、緊密な構成のうちに民族的な生命力の漲る優れた作品を書いた。
 1907年、26歳でブダペスト音楽院ピアノ科教授となり民謡の編曲なども行う。この時点でも、彼の大規模な管弦楽作品はまだブラームスやR・シュトラウス、さらにはドビュッシーの影響を感じさせるものであるが、ピアノ小品やヴァイオリン協奏曲第一番、弦楽四重奏曲第一番などでは民謡採集の影響が顕著に表れている。またブゾーニの推挙も得て、ピアニストとしてだけではなく作曲家としての名も次第に浸透し始める。



バルトーク:2つのルーマニア舞曲 Op.8a Two Romanian Dances opus 8a (1910) から

1. Allegro vivace

ピアノ:バルトーク・ベーラ
録音:1929年






バルトーク:アレグロ・バルバロ Allegro Barbaro(1911) Sz.49

ピアノ:バルトーク・ベーラ



 1911年コダーイらと新ハンガリー音楽協会を設立し若い作曲家たちの作品発表の場を確保しようとしたが失敗し、同年作曲のただ1つのオペラとなった《青ひげ公の城》も受け入れられず、民謡研究と《ルーマニア民俗舞曲》(1915)など民謡に基づくピアノ曲の作曲に没頭する。バレエ音楽《かかし王子》の初演が成功した1918年から、国外での名声の高まりによってハンガリーでの立場も好転し、さらに《青ひげ公の城》が初演され好評を得た。



バルトーク:ルーマニア民族舞曲 Rumanian Folk Dances(1915) Sz.56 から

1. 棒踊り Joc cu bata(Stick Dance)
2. 飾り帯の踊り Braul (Round dance)
3. 踏み踊り Pe loc (In One Spot)
4. 角笛の踊り Buciumeana (Dance of Buchum)
5. ルーマニア風ポルカ Poarga Romanesca (Romanian Polka)

ピアノ:バルトーク・ベーラ






バルトーク:ソナチネ Sonatina(1915) Sz.55

1.バグパイプ吹き Dudások(Bagpipers)
2. 熊踊り Medvetánc(Bear Dance)
3. 終曲 Finale

ピアノ:バルトーク・ベーラ






ピアノのための組曲 Suite opus 14 (1916)

1. Allegretto
2. Scherzo
3. Allegro molto
4. Sostenuto

ピアノ:バルトーク・ベーラ
録音:1929年



 1921年から22年にかけては二つのヴァイオリン・ソナタを書き、イェリー・ダラーニのヴァイオリンと自らのピアノで初演した。さらにダラーニに同行してイギリスやフランスで演奏旅行をするが、この時ラヴェルやストラヴィンスキーと会っている。この過渡期の二つのヴァイオリン・ソナタは、それまでに作曲した中で和声上、構成上最も複雑な作品であり、これを境に作風を転換させ、大規模な抽象形式ととり組んでいく。
 1923年には、ブダペスト併合50年祭のために委嘱を受けて《舞踏組曲》を作曲した。その後三年ほど作品を発表せず演奏会活動にやや力を入れるが、1926年にピアノ・ソナタやピアノ協奏曲第一番を皮切りに新しい創作期に入り、フルトヴェングラーの指揮と自らのピアノで初演する。ここから民族音楽の経験を、彼が尊敬する西欧の芸術音楽の伝統、特にバッハ(ポリフォニーと対位法)、ベートーヴェン(動機労作)、ドビュッシー(和音の色彩)、および当時の古典主義(ソナタ、協奏曲などの形式)と結合して、力に満ちた独自の輝かしい様式を生んだ。



バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第2番 (1937年-1938年) Sz.112 から

第1楽章 Allegro non troppo

ヴァイオリン:ゾルターン・セーケイ
指揮:ウィレム・メンゲルベルク
演奏:アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1939年3月23日 アムステルダム (初演




 演奏家としては、1929年から30年にはアメリカやソビエトへの演奏旅行を行い、シゲティやカザルスらと共演している。彼の弦楽四重奏曲としてもっとも高い評価を受けている第三、第四弦楽四重奏曲、《弦楽器、打楽器、チェレスタの音楽》(1936)、《二台のピアノと打楽器のソナタ》(1937)などでは、黄金分割、さまざま音階の使用、和声の可能性の拡大(時々無調にまで至る)、鮮明な明晰さをもつアイデアの創造、新たなリズムの発見、変奏の非常に精妙な操作など、縦横に駆使した独自の理論の下に民族的であると共に、極度に複雑な構造と感情的な力強さへと彼を導く。この時期に書かれた、六巻からなるピアノ曲集《ミクロコスモス》(1926-37)をはじめ、 彼の作品にしばしば用いられているものに、生気に満ちた「ブルガリア風リズム」がある。これは、スラヴ系のブルガリアなどの民族音楽に使われる二拍と三拍の単位を不均整に結合した拍子である。また、「パルランド・ルバート」と呼ばれる、話し言葉のように拍が伸縮する自由なリズムがあり、さらに、旋律と一体となった民謡の様々なリズム型がある。音組織や和声、形式の面でもバルトークの語法は非常に興味深いが、このように彼は、民族音楽の豊かさとその生命力を示し、そこに深く根ざしたユニークな音楽を創造したのであった。



バルトーク:ミクロコスモス (1926-1939) Sz.107 第6巻から
From Mikrokosmos, Progressive Piano Pieces vol. VI

140. Free Variations (Variations libres/Freie Variationen). Allegro molto
142. From the Diary of a Fly (Ce que la mouche raconte/Aus dem Tagebuch einer Fliege). Allegro
149. From Six Dances in Bulgarian Rhythm (Six dances bulgares/Sechs Tänze in bulgarischen Rhythmen): no. 2

ピアノ:バルトーク・ベーラ
録音:1940年



 1939年、ナチズム支配の政治状勢に絶望、弦楽四重奏曲第六番を決別の歌として書き上げたのち、第二次世界大戦二年目の1940年にアメリカに亡命する。コロンビア大学での研究の他、ヨーロッパから持ち込んだ民俗音楽の研究に没頭するが、1943年初頭、健康を害して入院してそれらの活動はすべて中断する。当時ボストン交響楽団を率いていた指揮者クーセヴィツキーに依頼され《管弦楽のための協奏曲》を驚異的なスピードで完成し、これを契機に創作意欲を回復した。さらに、ヴァイオリン・ソナタを演奏会で取り上げる際にアドバイスを求めに来て親しくなったメニューインの 依頼で《無伴奏ヴァイオリン・ソナタ》にも着手し、1944年には両曲の初演にそれぞれ立ち会う。出版社との新しい契約で収入面の不安もやや改善され、健康状態も取り戻して民俗音楽の研究も再開した。しかしこれも束の間で、《ピアノ協奏曲第三番》と《ビオラ協奏曲》を着手するも未完に残したまま、1945年9月26日、ニューヨークのブルックリン病院で白血病のため没した。前者はほとんどできあがっており、草稿段階にとどまった後者とともに、友人でハンガリー系の作曲家タイバー・セアリー(シェールイ・ティボール)によって補筆完成された。



【作曲技法】
 作曲家としてのバルトークは、ドイツ・オーストリア音楽の強い影響から出発したが、民俗音楽の収集による科学的分析から、その語法を自分のものにしていった一方、他方では同時期の音楽の影響を受けたという両者とのバランスの中で作品を生み出すという独自の道を歩んだ。ただし、ソナタ形式を活用するなど西洋の音楽技法の発展系の上で成立しており、音楽史的には新古典主義の流れの一人と位置付けられている。彼にとって民族音楽は、自分自身の音楽の表現と本質、長・短調組織の克服、新たなリズム、旋律、音色への強い刺激の源泉であった。



民族音楽
 バルトークとコダーイは西欧の影響のない農民の民族音楽を収集し、さらに研究範囲を東欧に拡大し保存運動を生涯の仕事とした。民族音楽とかかわる彼の仕事には三つの段階がある。

① 伴奏づけなど直接の採用
② その素材による動機労作
③ その様式に従った新作

 第一次大戦までの原始主義者達のうち、ストラヴィンスキーはバロックの調性音楽を目指して狭義の新古典主義をとり、プロコフィエフもまた19世紀風の民族主義ロマン派のスタイルに後退した。しかしバルトークは、1920年代、30年代に全く独自の音楽語法を組織化して数々の傑作を生み出している。ただ、彼も1943年以後のアメリカ時代における作品群では、新古典主義的、あるいは民族的ロマン主義の作風に後退するに至るが、両大戦間のヨーロッパ滞在中の主要作、たとえば第三、第四弦楽四重奏曲、《弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽》、《二台のピアノと打楽器のためのソナタ》等では特異な語法による厳しい姿勢が見られる。一幕オペラ《青ひげ公の城》は、華やかなオーケストレーションの一部をR・シュトラウスに、歌詞の節付けの方法をドビュッシーの《ペレアスとメリザンド》に、それぞれ影響を受けているが、その旋律とリズムとバラード様式はすべてハンガリーによるものである。まさにバルトークは芸術基盤を民族音楽から引き出したアイデアや原理、方法の上に置こうとしていたのである。



黄金分割
 黄金分割あるいは黄金比とは、一つの線分を長・短二つに分ち、全体の長さと長い方との比例が、長い方と短い方との比例と一致する、すなわちその長短の比が1:X=X:(1-X)となるような分割法のことで、造形美術の分野では中世には神の比例と称されたほどの非常に美しい比例関係である。この式から導かれる数の関係は中世末期のイタリア人のフィボナッチが見出した数列であらわされる。それはつねに第一項と第二項の和が第三項になるような数列である。調的なカデンツ構造を放棄してもなお、二小節のモチーフ、四小節の小楽節、 八小節の大楽節といった楽式から脱していない作曲家もあるが、バルトークはこのようなシンメトリックな楽節構成や倍音和声を形式の基本におくことの矛盾を強く感じ、これに代わって楽節のどんな細部も、また大規模な部分の分割をも同じ比例で統一的に実地できるような比例関係を求めたのである。



バルトーク:二台のピアノと打楽器のためのソナタ (1937年) Sz.110 から

第1楽章 Assai lento

ピアノ:スヴャトスラフ・リヒテル/アナトリー・ヴェデルニコフ
パーカッション:Snegirev, Nikulin, Volkonsky
録音:1956年





参考文献

著者:ポール・グリフィス/訳者:石田一志『現代音楽小史 ドビュッシーからブーレーズまで』(音楽之友社 1984年)
著者:アガサ・ファセット/訳者:野水瑞穂『バルトーク晩年の悲劇』(みすず書房 1993年)
著者:ひのまどか『バルトーク―歌のなる木と亡命の日々』(リブリオ出版 1989年)
著者:伊東信宏『バルトーク―民謡を「発見」した辺境の作曲家』(中央公論社 1997年)
著書:エルネー・レンドヴァイ/訳者:谷本一之『バルトークの作曲技法』( 全音楽譜出版社 1998年)
編集者:高橋浩子・中村孝義・本岡浩子・網干 毅『西洋音楽の歴史』(東京書籍 1996年)
著者:柴田南雄『西洋音楽史 印象派以後』(音楽之友社 1967年)
著書:オリヴィエ・アラン/訳者:永冨正之・二宮正之『和声の歴史』(白水社 文庫クセジュ 1969年)
編集兼発行者:淺香 淳『新音楽辞典 楽語』(音楽之友社 1977年)
日本語版監修:角倉一朗『U.ミヒェルス編 図解音楽事典』(白水社 1989年)










(2008年執筆)




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[ 2010/12/19 17:14 ] 音楽史 | TB(1) | CM(0)

ペレアスとメリザンド

ドビュッシーとシェーンベルクの《ペレアスとメリザンド》

 《ペレアスとメリザンド》は、ベルギーの象徴派の詩人兼劇作家であるモーリス・メーテルランクが書いた戯曲。フランス語で書かれ、1892年にブリュッセルで出版された後、翌1893年にパリで初演された。

クロード・ドビュッシー(1862-1918)
オペラ《ペレアスとメリザンド》(1902)




【時代区分】
① 初期:~1890年
② 中期:1890年~1912年
 教会旋法、平行和音(調的機能でなく音色としての和音)、5音音階、全音音階、色彩としての不協和音による印象主義的効果が特徴的。オペラ《ペレアスとメリザンド》はこの時期の代表作である。
③ 後期:1912年~
 古典主義的傾向とさらに明確な旋律線が特徴的。


【作品の特徴】
 メーテルランクの戯曲をドビュッシー自身が改訂して台本を作り、表情のこもった朗誦の自由で流動的な旋律が、神秘的で象徴的な要素を増し、幻想的でありながら生々しい人間の葛藤を描いている。

① 動機
 登場人物や事物に対応させて一定の動機が十数個、暗示的に使われている(ヴァーグナーにおけるライトモティーフの用法とは著しく異なる)。
② 声楽パート
 旋律法はムソルグスキーの影響を受け、伝統的なアリアとレチタティーヴォが融合されている。つまりフランス語の自然のアクセントやソノリティーの変化がそのままピッチとリズムの変化に置き換えられているため、歌うというより語るような旋律となっている。このように、合唱や重唱さえもない朗唱風の歌唱で全曲を統一するという独自の表現法により、伝統的な意味での旋律的要素は目立たなくなっている。しかしこのようなドビュッシーの旋律法は、その後のシェーンベルクの「シュプレッヒ・シュティンメ」や、ヤナーチェクやバルトークの旋律法「パルランド様式」にも大きな影響を与えている。
③ オーケストラ
 微妙なニュアンスの表現に終始するといった全く抑制されたオーケストレーションに留めている。完成まで約10年を費やしたこの作品は、ドビュッシーが残した唯一のオペラであるとともに、彼が作曲を通じて独自の劇音楽の様式を確立したという点できわめて重要な位置にあり、その後の音楽史に多大な影響を与え、20世紀オペラの数少ない傑作の一つに数えられている。


【印象主義】
 印象主義は1874年にモネ、ルノアールらが催した展覧会に対してアカデミズム派が嫌味としてモネの絵画《印象・昇る太陽》から引用した言葉である。印象派の画家たちは戸外、自然の中での制作を好み、物体の固有色を尊重するのではなく、反射した光線の残像を描くことから、溢れる光に対象の輪郭や遠近感をも消え去ることになる。したがって絵画における印象主義は、光と影の戯れ、線画に代わる色価、気分と雰囲気の「印象」を重視する。以上のような印象派絵画と共通するドビュッシーの音楽とはというと、頻出する三連符や五連符で流れる旋律は音楽の輪郭をぼやかし、全音音階、五音音階、旋法の音感、九や十一の和音の並置は調性をあいまいにする。そして機能を外された和音は色彩感が漂う感覚的なものである。また彼の曲の標題は、雲、霧、風、海、波、雨、水、魚、月光など自然から借りた、不定形の流動体と関係あるものがきわめて多い。したがってドビュッシーは1887年に、彼の情緒的な音楽による色彩が、明確な輪郭をもたない「あいまいな印象主義」として非難される。ドビュッシー自身は自分のことを、印象主義者というよりもむしろ象徴主義者だと感じ、ボードレール、ヴェルレーヌ、マラルメと同様に、合理的な自然主義に対する非合理的なもの、あるいは雰囲気的なもの、幻想的なものを重視した。彼の音楽は、ドイツ後期ロマン派の重く暗い半音階の複雑さとは正反対の、明るく透明な色彩を特徴とする。


【印象主義の技法上の特徴】
① 形式
 曲の性格に密着した有機的な形式がとられ非常に多様である。開始と終止の伝統的な明確さは多くの場合すてられるが、小規模な部分のシンメトリーや二部形式、三部形式はしばしば用いられる。しかし調性音楽の時代に完成されたソナタ形式やフーガは用いられない。
② 旋律
 古典派、ロマン派に比べ非常に断片的である。ドビュッシーは、《ペレアスとメリザンド》で「魂と生命の動き」を翻訳しようとしたという。そこで、長調と短調による明確な楽節構造といった一定の長さをもった旋律は意識的に避けられている。
③ 音組織
 ドビュッシーが若い頃にロシアや東洋の音楽に接した体験から、エキゾティシズムの一つのあらわれという面が非常に強い、非ヨーロッパ的音組織からの影響が濃厚である。一般に彼の作品では一部の例外を除いて、以下の種々の音組織が混用されている。

a)  スラヴ音楽の大きな特徴であり中世の教会調にも通じる、互いに三度の平行関係にある長調と自然短音階の混合使用(混合調ともいう)。
b)  東洋世界への関心に由来する、五音音階または四音、三音から成る旋法。
c)  全音音階とそれから導かれる種々の和音の非機能的な平行使用。これは同一音色の持続という、瞬間の印象の固定を可能にする。
d)  半音階の自由な使用。和音は九の和音、十一の和音など、 半音階を含む不協和音の形をとり解決を必要としない。従って一種の無調的な傾向、時として騒音的傾向をとるに至るが、音の選別配分の配慮はきわめてデリケートである。
④ リズムについて
 ドビュッシーの音楽のリズムは、五連符などの不規則分割やポリリズムが用いられ、急速なアルペッジョ、シンコペーションなどが多く、大きい時価と細分された時価との突然の交替がしばしばみられ、テンポは至るところで変化する。一定の拍子の持続はみられず、従って拍節性は弱められ、様々な不規則で自由なリズム型があらわれ、音楽の細部にまでわたる流動するリズムには生命にみちた躍動感がみられる。



ドビュッシー:オペラ『ペレアスとメリザンド』

ペレアス:カミーユ・モラーヌ
メリザンド:エレナ・スポーレンベルク
指揮:エルネスト・アンセルメ
演奏:スイス・ロマンド管弦楽団









アルノルト・シェーンベルク(1874-1951)
交響詩《ペレアスとメリザンド》(1903)




【時代区分】
① 調性時代:1899年~1907年
 ヴァーグナーやブラームスといった後期ロマン派様式を継承。交響詩《ペレアスとメリザンド》はこの時代に作曲された。
② 無調時代:1908年~1921年
③ 12音時代:1921年~1951年


【作品の特徴】
 交響詩《ペレアスとメリザンド》は、シェーンベルク唯一の交響詩である。ドビュッシーのオペラと同様に、メーテルランクの戯曲《ペレアスとメリザンド》に基づく。

第一部:ソナタの第一楽章の反復付きの呈示部
 森の中での導入部で、バス・クラリネットによる長7度跳躍し長3度下降する短いモティーフは、曲全体で重要な役割を果たす運命のモティーフである。続いてオーボエからメリザンドモティーフが、ホルンからゴローモティーフが現れる。主部は、主要主題(ゴロー)、副主題(ペレアス)、終結主題(メリザンドの愛の芽生え)により描かれる。

第二部:スケルツォと緩徐楽章に相当する
 庭園の泉のほとりの場面と城の塔の場面、ついで地下の穴倉の場面。ここでは2本のトロンボーンのグリッサンドが用いられている。

第三部:ソナタ形式の展開部に相当する
 ペレアスとメリザンドの別れと愛の、甘美なトリスタン風の場面とゴローの襲撃の場面。

第四部:呈示部と緩徐楽章部の主題が再現される再現部に相当する
 メリザンドの臨終の部屋の場面。続いてエピローグは、主要主題、第二部と第三部からとった声部の展開、エピローグ開始部分の繰り返しの三部からなる。 

 シェーンベルクは、初期には後期ロマン派的な著しく半音階的で対位法的な音楽を書いている。《ペレアスとメリザンド》では、次のような様々な試みがなされている。

① 三人の主要人物はライトモティーフ風の主題により曲首に呈示し全曲に発展させる手法。
② 対位法的な無調的パッセージ。
③ 四度を積み重ねた不協和な四度和音を積極的に使用。不協和音は協和音に解決されるべきものという常識を破って、「不協和音の解放」を行う。またシェーンベルクは、ドビュッシーらによる全音音階や四度和声を使用した音楽を知らずに、 この音階や和声を独自に発見したという。彼は《ペレアスとメリザンド》の中で、この全音音階から派生する音階、 さらに、全く新しい概念に基づく和声である四度音程を積み重ねた和音(「完全四度和音」)を初めて使用した。
④ 多楽章的内容を単一楽章に収めるような形式。全体はソナタ形式によるが、展開部にスケルツォと緩徐楽章に当たる部分が挿入された形。この時代に書かれた彼の作品には、19世紀後期にみられる進歩主義的思想や進化論の影響が感じられるが、こうして和声やポリフォニーが複雑なものに発展していくことによって、調性は顕著に弱められていく。やがて「自由な無調」の時代に入るが、彼の最も優れた弟子ウェーベルンとベルクも歩みを共にした。彼らを無調へ進ませたもう一つの大きな要因は表現主義であった。


【表現主義】
  20世紀初頭、印象主義に対する反動として絵画を中心に起こった芸術運動の概念を音楽にも転用したもの。シェーンベルクを中心とする表現主義音楽の精神的根底には、内部から外へと独自の感情世界の主観的な表出を特徴とし、その結果、非常に個性的であると同時に、時として神秘性にも達する傾向である。特にこの時代には、第一次世界大戦の暗い予感や深層心理学的な近代的自我の不安、危機に対する鋭い意識が、従来にない尖鋭で強烈な表現と、既成の美学の破壊につながる革命的な技法を追及するに至った。表現主義の主題の多くは、生への矛盾と不安、恐怖、孤独、悲惨、病、死、といったものである。


【表現主義の技法上の特徴】
① 増4度、長7度、短9度など鋭い音程進行。
② 旋律線の方向を突然かえるなどの鋭角的な予想外の進行。
③ フレーズの断片化。
④ 極端な高音域と低音域、また両音域間をまたぐ大きな跳躍と突然の変化。
⑤ 極度の弱奏や強奏が延々と継起、またはそれらの相互間の予期しない交替。
⑥ 四度和音を含む不協和音の頻出と非機能的な並置、特殊奏法による鋭い音色の使用。
⑦ ホモフォニクな部分とポリフォニックな部分の突然の交替。
⑧ 拍節にしばられない自由なリズム、時に突然細分化されて衝動的なモチィーフを形成。
⑨ 音色という要素を、旋律における音高のように細かく変化させていく音色旋律の試み。
⑩ シュプレッヒ・シュティンメの使用。
⑪ 調性によって支えられるソナタ形式のように大きな器楽形式を構成するのが困難であることから、短い警句的器楽小品か、あるいは歌曲やドラマなどテキストを支えとする声楽作品が多い。









総 括
 印象主義と表現主義は言葉の上で対語をなしているが、内容的にも両者はあきらかに対立する芸術思潮であり、また後者が前者の反動として起こったと考えられる。

印象主義
  芸術家の個性を通しての自然の客観的観察。
  ラテン的・南欧的な芸術(絵画・音楽)。
  感覚的なもの。
  芸術家の感情表現に役立つ多様な要素を装飾的に配列。

表現主義
  対象を拒絶し芸術家の内部から外へと創造。
  ゲルマンまたはスラヴの中・北欧の芸術(絵画・文学・音楽)。
  独自の感情世界の主観的な表現。
  極限まで高められた情緒、極度の内的興奮の状態において、悲劇的、予言的、神秘的なもの等々を探究。




参考CD・参考文献

『DEBUSSY:《PELLÉAS ET MÉLISANDE》』
Chor des Bayerischen Rundfunks
Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
RAFAEL KUBELIK
18./19. November 1971
Herkulessaal
ORFEO:C 367 942 Ⅰ
『《ペレアスとメリザンド》のための音楽』
・ドビュッシー/マリウス・コンスタン編:《ペレアスとメリザンド》交響曲
・シベリウス:組曲《ペレアスとメリザンド》作品46
・シェーンベルク:交響詩《ペレアスとメリザンド》作品5
・フォーレ:組曲《ペレアスとメリザンド》作品80
セルジュ・ボド指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1989年4月11~15日/1989年4月14日
プラハ、ルドルフィヌム(芸術家の家)
SUPRAPHON:COCO-70893→4

著者:ポール・グリフィス/訳者:石田一志『現代音楽小史 ドビュッシーからブーレーズまで』(音楽之友社 1984年)
編集者:高橋浩子・中村孝義・本岡浩子・網干 毅『西洋音楽の歴史』(東京書籍 1996年)
著者:柴田南雄『西洋音楽史 印象派以後』(音楽之友社 1967年)
著書:オリヴィエ・アラン/訳者:永冨正之・二宮正之『和声の歴史』(白水社 文庫クセジュ 1969年)
編集兼発行者:淺香 淳『新音楽辞典 楽語』(音楽之友社 1977年)
日本語版監修:角倉一朗『U.ミヒェルス編 図解音楽事典』(白水社 1989年)









(2008年執筆)














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[ 2010/11/22 00:18 ] 音楽史 | TB(1) | CM(0)
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