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音楽レッスン帳

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月別アーカイブ  [ 2010年12月 ] 

蝋燭を描いた画家

 クリスマスシーズンにちなんで、蝋燭を描いた二人の画家について書きたいと思います。



 17世紀フランスの画家、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールは、民衆的な題材を扱う作品を描き続け、プッサン、ル・ナン兄弟、ル・シュウール、ル・ブランなどの画家たちと同等に評価されるほど、生前から世俗的にも成功を博しました。しかし、没後は長らく世間から忘れ去られ20世紀になって再発見されますが、現存する真作はわずか40点余りです。

ゆれる炎のあるマグダラのマリア

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593-1652)

《ゆれる炎のあるマグダラのマリア》




 白いブラウスを胸元まで下ろし、肩を大きく露わにした女性のしなやかな肌は、闇の中に浮かび上がる蝋燭の光に照らされ、肉感的な美しさをもって罪を悔いる繊細な心理描写を伴い描かれています。そこに静かに流れる時間と淑やかな女性を感じさせますが、その穏やかさの中に細く燻る蝋燭の黒煙と鞭と骸骨の存在が、一種の不気味さを醸し出しています。
 ラ・トゥールの画風は、「昼の情景」と「夜の情景」に大別されますが、いずれも光を効果的に駆使していることが特徴です。しかし、色調、画風、着想などの面で大きく異なるため、彼の芸術は謎の部分が多く残されています。主題の多くは、キリスト教の聖人や聖女、街かどでヴィエルを奏でる盲目の辻音楽師、トランプをするいかさま師などです。これらの題材の中に共通する「光と闇」、「聖と俗」という対比の中に、ラ・トゥールのキリスト教、家族、労働といった価値観を見出すことができます。


 一方、1890年福岡県に生まれた高島野十郎(たかしま やじゅうろう)は、「世の画壇と全く無縁になる事が小生の研究と精進」(2006年、弦書房、多田茂治『野十郎の炎』、125ページ)として、修行僧にも似た孤高の生活を貫きました。主に個展を作品発表の場とし、一貫して写実を追求しました。生前はほとんど無名でしたが、野十郎が初めて世間に紹介されたのは、没後11年経った1986年の福岡県立美術館での本格的な個展でした。

蝋燭

高島野十郎(1890-1975)
《蝋燭》



 赤茶色の背景、波打つ黄金色の炎、強いオレンジ色の火口、木製の台に落ちた楕円の黒い影。同じような構図の《蝋燭》を生涯に渡り何十枚も描き続け、そのうちの一点も売られることなく、すべて有縁の人々に手渡しで献呈し続けました。「私の《蝋燭》は絵馬なのだよ」(2008年、求龍堂、川崎 浹『過激な隠遁 島野十郎評伝』、246ページ)と野十郎は言います。つまり彼は、人間の中の仏性に絵馬のように祈りを込めた《蝋燭》を奉納し続け、献呈された人は、この奉納品によって自分の中の仏性に気付く可能性を持つというものです。《蝋燭》に比べて作品数が少ない《月》も非売品ですが、月ではなく「闇」を描きたかったと野十郎は言います。また、「空気」を描いたという《春の海》には焦点がありません。評論家から「岸田劉生の精神を学べ」と批評された野十郎は、「非有、非無、そしてそこから、或いはそれを支える一つの主題がない。それは“慈悲”だ。」(2008年、求龍堂、島野十郎『島野十郎画集 作品と遺稿』、210ページ)と答えました。ここに、「闇」や「空気」を描いた野十郎の深遠な精神性と彼独自の哲学が裏付けされているかのようです。今を生きている炎と、残りの命である蝋芯、一人一人の心の闇を静かに照らし明らかにする光。そこに野十郎の行き着いた境地である「慈悲」が超然と横たわっています。


【総 括】
 ラ・トゥールの《ゆれる炎のあるマグダナのマリア》は、キリスト教神話を題材とし、蝋燭は大画面のごく一部として扱われ、宗教的な雰囲気を強めてはいるものの蝋燭自体に神性はなく、むしろそれは物理的な闇を照らすための小道具にすぎません。女性の表情や、聖書、十字架、鞭、骸骨といった「目に見えるもの」から、メッセージとして連想する何かを受け手は感じ取るでしょう。
 一方、野十郎の《蝋燭》は、根底には仏教思想があり、「無」の関門を乗り越えた「悟り」の境地に至った彼独特の主題がここにあります。画面の中央に一本の蝋燭が灯り、焦点はずばり蝋燭そのものであり、そこには高潔で神聖な「慈悲」が漂います。「花一つを、砂一粒を人間と同物に見る事、神と見る事……それは洋人キリスト教者には不可能」(前掲書、『過激な隠遁 島野十郎評伝』、275ページ)という彼の言葉からも、唯一の神を信仰する西欧キリスト教社会と、「神は自分の中にいる」という東洋的神仏の世界の違いが如実に表されています。蝋燭自体から野十郎のメッセージが直接伝わってくるような、それはいかようにも解釈できる曖昧な言葉ではなく、野十郎自身がこのようにしか描きようがなかった必然的な産物であるような気がします。ラ・トゥールと野十郎の「蝋燭」を比較することによって、思想においても主題においても本質的に類を異にした画家であることがわかります。



参考文献
・ジャン=ピエール・キュザン/ディミトリ・サルモン『ジョルジュ・ド・ラ・トゥール』(創元社 2005年)
・多田茂治『野十郎の炎』(弦書房 2006年)
・川崎 浹『過激な隠遁 高島野十郎評伝』(求龍堂 2008年)
・高島野十郎『高島野十郎画集 作品と遺稿』(求龍堂 2008年)








(2009年執筆)



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[ 2010/12/18 15:32 ] 美術 | TB(1) | CM(0)
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