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音楽レッスン帳

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野十郎の『煙草を手にした自画像』

 高島野十郎(たかしま やじゅうろう)は1890年、福岡県久留米市の酒造業を営む資産家の家に四男として生まれました。本名は高嶋弥寿(たかしま やじゅ)で、野十郎とは、「野獣のごとく生きる」という意味のペンネームといわれています。長男の宇朗(泉郷)は、画家・青木 繁の友人として知られる詩人でした。
 中学の頃から絵を描き始めた野十郎ですが、明治45年に東京帝国大学農学部水産学科に入学し、絵と勉学を両立させながら大学生活を送りました。この頃から野十郎の油絵は、すでに新進画家の評価を得ていた一つ年下の劉生と類似性を指摘されていますが、野十郎は勉学を疎かにすることなく抜群の成績を修め、水産学科を首席で卒業しました。この時、学業優秀者に与えられる恩寵の銀時計を受ける予定になっていましたが、彼はこの栄誉を辞退したといいます。卒業後も周囲からの期待にこたえるように研究を続けていくのであれば銀時計も勲章になりますが、学界を去り、画道に入り邁進すると進路を決めた彼にしてみれば、ただの装飾品にすぎなかったのかもしれません。しかし、彼の才能を惜しんだ教授の一人が、今後の励ましを込めて銀時計に替って懐中時計を贈りました。野十郎もこの恩師の時計だけはありがたく受け取り、生涯大切に持ち続けました。



煙草を手にした自画像

高島野十郎:『煙草を手にした自画像』(制作年不詳)




 その頃に描いたとされる 『煙草を手にした自画像』 には、白いワイシャツに焦茶色のネクタイを締め、紺のベストに茶色いカーディガン、カーキ色の上着を羽織り、左手には煙草を燻らせ、髪は短く刈られ、ブロンズの眼鏡の奥には、眉間に皺を寄せ眼光鋭く正面を見据えた、口元をかたく結ぶ、若き野十郎の姿が描かれています。本がいくつも積まれた棚の脇の柱には、生物採集用の網と、一時四分を指した恩師の懐中時計がかけられています。
 家族には美術の道に進むことを反対され、学界では研究を続けてほしいという大きな期待を寄せられ、それでも己の道を突き進もうとする迷いのない覚悟が、この絵から感じることができます。芸術に対する野十郎の潔癖さを表す独自の思想の軌跡を綴った遺稿『ノート』に次のような言葉があります。


「生まれた時から散々に染め込まれた思想や習慣を洗ひ落せば落す程寫実は深くなる.
寫實の遂及とは何もかも洗ひ落して生れる前の裸になる事、その事である.」
(2008年、求龍堂、川崎 浹『過激な隠遁 高島野十郎評伝』、282ページ)



 食べることは生きること、食べ物は愛であり命であるので、私は食事を第一に考えています。本来の日本人の食事の内容に戻し、日本人の細胞、肉体、精神にかえることが、私の日々の労りであり務めでもあります。その行こそが、命を授かり生かされていることへの感謝のしるしです。過去何億もの人々の繋がりによって今の私があるのですから。一見関係ないようですが、「洗い落とす」ことも「生まれる前の裸になる」ことも、毎日の食事と密接につながっていると私は考えます。


「色の名稱をすててしまふ.色といふ言葉もすててしまふ.寫実はそれからだ.」
(前掲書、『過激な隠遁 高島野十郎評伝』、281ページ)



 私はこの「色」の箇所を「音」と置きかえて考えます。さらにこの野十郎の言葉を突き詰めれば、「音楽や美術といった芸術の枠をも捨ててしまう」となるでしょう。 アトリエを外の世界へ移し、地域住民と共同作業でアートを創ることや、何でもかんでもアートと称し、「個性」の名のもとに何か人と変わったことをすることで優劣を見出だす、いわば「やったもの勝ち」で満悦しているような、現代のアーティストと呼ばれる人々とは対極の生き方だと思います。仮に野十郎が100年遅れて生まれたとしても、このような時代の風潮に関係なく彼は彼の生き方を貫き通したであろうと思います。


「芸術は深さとか強さとかを取るべきではない.“諦”である.」
(前掲書、『過激な隠遁 高島野十郎評伝』、275ページ)


註 諦(たい) 真実にして明らかなこと。悟り。明らかにする。



 自分自身を日々浄化させ、無垢の状態で心の目を開き対象と向き合うためには、孤独の場所を作り、それを愛さなければなりません。集団に属することは彼にとって邪念であり、またそうでなければ次のような慈愛に満ちた闇の絵は描けないでしょう。



満月 

高島野十郎:『満月』(1963年)




 野十郎の手紙の中に次のような一節があります。

「小生の研究はただ自然があるのみで古今東西の芸術家の後を追ひ、それ等の作品を研究参考するのでありませんし、反對にそれ等と絶縁して全くの孤独を求めてゐるのですから、例へば名画の参考品を送つて下さつても何の役にも立ちません。(中略)
以前、武蔵野の寫眞集を送つて来られましたが、あれなど全くの無意義でした。高いお金を使はれたらしいが、それで小生寸分の得る処、受ける処ありませんでした。
今、上野で西洋名画展をやつてゐる事知つてゐますが、行つて見る気少しもありません。そこに何か小生の参考になりそうなものあると思へるなら、近くもあるし一度でも二度でも行つて見ます。然しそこに何も求めて居ませんし見に行く暇と費用があれば、山の雪の中、野の枯草の中に歩き行きます。
世の画壇と全く無縁になる事が小生の研究と精進です。」
(昭和41年2月25日付 原文に若干の読点等を付加した)
(2008年、求龍堂、高島野十郎『高島野十郎画集 作品と遺稿』、223ページ)



 あらゆる執着から訣別し、俗世間に媚びることなく、質素な生活を送り、一生涯独身を貫き、ただひたすらに描き続けた野十郎の生き様が感じられます。芸術に対し、また自分自身に対し、これほどまでに独り真摯に闘う姿に畏敬の念を覚えます。何かを創造するためには、孤独に耐え、生みや育ての苦楽を味わい、苦汁を隠しながら真実を明らかにする勇気を持つこと、そしてこれらの底流に横たわる心の拠り所とする自分が信じる神(宗教とは限らない)の存在が、信念を抱き続けることを強固たるものにしているのだと思います。



「冥土への一路.藝術の眞諦.」
(前掲書、『過激な隠遁 高島野十郎評伝』、285ページ)




高島野十郎






参考文献

・多田茂治『野十郎の炎』(弦書房 2006年)
・川崎 浹『過激な隠遁 高島野十郎評伝』(求龍堂 2008年)
・高島野十郎『高島野十郎画集 作品と遺稿』(求龍堂 2008年)










(2009年執筆)



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[ 2011/01/26 15:54 ] 美術 | TB(1) | CM(0)
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