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音楽レッスン帳

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バスカメラ

「Sightseeing Bus camera〈1〉 Project」:佐藤時啓Ray Projects〈2〉 


【概 要】
 Sightseeing Bus camera(バスカメラ)は、カメラの語源となった暗部屋を意味する「カメラ・オブスクーラ」の現象〈3〉を使って、バス1台を大きなカメラにしてしまうもの。バスの中全体を暗室にして、小さな穴をあけた両サイドの窓からレンズを通し光が差し込むと、外の景色が車内の通路に設えたスクリーンに映し出される。バスが走ると、走馬灯のように外の町並みが逆さまに現れては消え、普段見慣れている景色とはまた違った趣を体験する。

【考 察】
 普通我々は、カメラで撮ったメディアを現像し写真にしたものを見ることが一般的であるが、その手段であるカメラの中に人が入ってしまうという面白い企画である。写真の場合は、それを見る時にはすでに過去の光景として映っているが、バスカメラの場合は、リアルタイムでその場に居合わせるといった体感型アートともいえる。「カメラの原理とはこういうものだったのか!」という、まさに体験することで得られる生々しい発見がここにある。写真を撮る場合は、構図、ピント合わせ、光の当たる向きなど考えなければならないが、バスカメラはその点考えなくて良いため技術的には気楽ではあろうが、その分違う視点に注意を払うことで伴う表現の可能性が広がるのではないかと思われる。場所やその日の天気、時刻などによっても趣が異なり、その一瞬一瞬の光と影の出会いを尊ぶ作家の想いを、バスカメラに揺られながら私は感じた。同じものは二度とできないという、音楽でいうコンサートのような一回限りのある種の儚さがあるが、それを体験したものの感動はずっと忘れないものとなるだろう。特に子供が喜んでいたのが印象的であった。これが敷居の高い画廊などであったら、子供の無邪気な笑顔も見られないであろう。写真やカメラには関心がなくとも、バスカメラなら楽しいと思う人は多くいそうである。
 学生時代は彫刻など立体作品を学び、光が特徴の写真作品を展開の後、町中に表現活動の場を移していった佐藤時啓氏であるが、これまでと同様「光」をテーマにすることを根底に持ちながら、表現の枠や常識を超えたプロジェクトであると思う。


1.芸術表現活動であると同時に、カメラの中を体験し、その原理を理解する科学の実験でもある。
2.東京芸大、佐藤時啓氏を中心に原初的な光学的原理を用いた芸術表現を行う任意団体。バスカメラやピンホールカメラの原理を用いた表現活動をおこなう。Ray projectのRayとは光という意味。
3.暗闇があって光が差し込むと、そこには必ず映像が映るという現象。




風車




佐藤時啓氏インタビューメモ (2008年11月16日)


 バスカメラは三友周太(薬剤師)から手紙がくるところからはじまる。

 東京藝術大学准教授である佐藤時啓は、彫刻など立体作品を大学で学び、90年代から光が特徴的な写真の作品をつくるようになる。
 2000年代からは画廊だけではない、さまざまな人々とかかわるプロジェクトを始める。ワンダリングカメラ(漂泊するカメラ)から、走っている状態で見ることができるバスカメラに変化する。秋田県大潟村(2004年10月)からはじまり、茨城県取手市、銀座・・・と運行してきた。風景に追い越される体験、逆さまにうつる風景、逆方向に進む風景。

 現在はだれでも同じ情報を得ることができ、同じように表現する可能性がでてきた。活動の拠点をアトリエだけでいいのか?と考えるようになり、90年代後半から2002年からは直接人々とかかわる方向へ移行していった。ワークショップもそのひとつの方法である。
 台風の影響により処分されるかぼちゃをカメラにするこころみ。闇と光があればカメラになる。闇の中に光が入ると映像がうつる。Camera obscura(カメラ・オブスクーラ)。木漏れ日もじつは同じ原理。現在もあるカメラ・オブスクーラは、EdinburghのThe Outlook Towerや、ディズニー・シー。

 90年代から写真をはじめ、94年を最初にカメラ・オブスクーラを作るようになる。これは廃校の屋根に穴をあけレンズをとりつけ、床にダムに沈んでしまう町を映すというもの。ここからアトリエで作品をつくることはなくなり、作品を観るだけではなく体験してもらう、大きな画面にイメージを重ねる作品へと移行していく。

***

リクシャーカメラプロジェクト  
 バングラデッシュで、リクシャーを町工場にいって2万円で作ってもらい、カメラに改造。リクシャーの屋根にレンズをとりつけ、膝のうえに動く映像を楽しむもの。バングラデッシュで運行した後、日本に持ち帰り田舎で走らせた。日本の人力車がアジアに伝わり、また戻ってきたかんじ。

ワンダリング・カメラ・プロジェクト
 いろんな場所に行ってカメラを設置して、ゲリラ的に町に現れるプロジェクト。第一の目的は大きな写真を撮るため。一見キャンピングカーにみえる大きなカメラなので、韓国にいくときに困った。韓国にキャンピングカーは輸入できないので、「これはカメラです」と日本語とハングル語で書いたら通ることができた。この由来のために、バスカメラにも「このバスはカメラです」と書いている。初めは険しい顔をしていた現地の人が、いざ体験してみると楽しそうな顔に変わる、表情の一瞬の変化がうれしい。

ポストをカメラにするこころみ 宮城県



長崎県雲仙。ゴミがいっぱいの廃屋というネガティブな場所を、町の人々と掃除をして、カメラを置く場所へと変えていく作業。船の形のスクリーンと船のかたちのテーブルに、それぞれ有明海と雲仙岳が映る。
町おこしのためにアートがあるわけではないが、場所選びは非常に大事。

 岩手。

単純に像を映しているだけだが、カメラにすることにより奥行きのあるものが平面になり、絵画のようになる。

家にもレンズをつけていて、隣の家が映るようにしてある。四季折々や、天気によって、時間によって、景色が変わる面白さ。雪の日は最高で、雪が舞い上がってみえる。

360度カメラ グリーニング(拾い集める)
映し出されたイメージを共有するというプロジェクトから、映すほうを体験するプロジェクト
タイル張りのようなかんじ

近代は、いかにピントと構図を合わせるかという視点というよりも、とりたい気持ちととりたい場所、偶然に映ったものを受け入れることが大切。

写真をやりはじめてからアトリエをでる。街中で長時間撮影。鏡で反射させる。
90年代おわりから海の作品をつくるようになる。
制作そのものを作品にする。

井戸プロジェクト(2002)
深さ40mの井戸掘り。10日間足でパタンパタンふみながら手作りで井戸をほる作業。ジャングルジムのようなあづまや。最終的に流しそうめん。

M1(エムワン)プロジェクト(2007)
利根川河川敷。
処分されるユニット(ひとつ四畳半)を4つ、ななめにたてかけるようなかんじに接合。クレーンではなく、手で接合することにこだわる。
機能をもった作品。遊ぶことができる空間。滑り台。クライム。休憩所。
表現活動と、町と人とどうかかわっていける可能性があるのかをいつも考えている。

***

共同作業するときは自分の欲求をある時は抑えなければならないが、自分を突き詰めて作品制作に臨むときは個人でするというように使い分けを繰り返している。
バスカメラでは、技術的なことはいらないし、お金もあまりかからないので気楽にできる。というふうに、スイッチを切り替えている。

山口県宇部市に、唯一パブリックアートがある。
ドーム状の4つのカメラ。コケ。

日常見えるものがちがってみえるから飽きない。
なんのためにやるの?険しい顔がにっこりするくつがえしがうれしい。
日本には町中にアートがないから逆に可能性がある。常にアートがあるニューヨークではバスカメラをやる必要性がなく感じた。

芸術は、目的をもたないもの。結果的に何か作用することはあるかもしれない。
なにかを変えることを目的に芸術をやるのではない。

町中に異物が出現するおもしろさ。
アートとは、目的のないものである。結果として何か世の中に変化を与える可能性があるかもしれないという立場。


(2008年執筆)






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[ 2012/04/10 05:03 ] 美術 | TB(0) | CM(0)
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