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音楽レッスン帳

クラシックピアノ・ジャズピアノ・エレキギター・作曲・DTM・オーケストラ・パーカッションのレッスン日記 ♪ 姉妹サイト「ニョキリサ」もよろしくお願いします(๑˃̵ᴗ˂̵)

井筒

能楽のたのしみ


 実際に能楽堂に出かけ能楽を鑑賞するなかで謡や舞、能面や装束などさまざまな点に興味を持ちましたが、今回は能の演技はどのような特徴があるのかというところに焦点を絞り、「井筒」の感想を交えながら考察していきたいと思います。


【井筒のあらすじ】
 大和長谷寺に参る僧が、今は荒れ果てた秋の在原寺に立ち寄り一人の女と出会います。女は、在原業平と紀有常の娘との筒井筒の恋物語などを語り、自分こそ有常の娘であると明かし姿を消します。夜になり僧の夢に有常の娘の霊が、生前の美しい姿で現れ、業平の形見の冠と衣装を身にまとい恋慕の舞を舞います。
 舞台には、薄のついた井筒(井戸)の作り物が置かれます。後半に有常の娘の霊が井筒を覗きこむ場面は見どころの一つです。


【能の演技について】
 演者は腰を低くし体の重心を下に置く「構え」という姿勢をとり、「すり足」という足を舞台にすりつけた歩き方をします。笑い声や泣き声はありません。悲しい時には少しうつむき(「クモル」)、もっと悲しい場合には手のひらを眼の辺りに近づけます(「シオル」)。嬉しい時には少し上を向き(「テル」)、怒りなど強い意志を表すときは、顔を強く対象物に向けます(「面(おもて)を切ル」)。
 ワキ(脇役)は現在生きている、しかも必ず男役なので能面はつけず(直面ひためん)、ある意味で観客の代理人でもありますが、ワキはどちらかと言うと座っている場面が多く、舞いを舞うことは殆どありませんが、曲によってはシテよりも大活躍して激しく動き回ることもあります。


【井筒の感想】
 今回の「井筒」では、小面(こおもて)という若い女性の面を着けていました。オレンジ色の装束で、若々しくきれいな印象をもちました。
 「昔、この国に、住む人のありけるが」で始まる曲は幼い男の子と女の子が隣同士で住んでいて、次第に恋が芽生え、将来を誓うというふたりのかわいい思い出話ですが、 「風吹けば沖つ白波龍田山、夜半には君が一人行くらん」のサシ謡は、二人が夫婦になり、夫が高安の女のところにいくことを知りながらも、妻は夫の道中の無事を祈って見送るというもので、ただ若くてかわいいだけではない、強さと優しさとを併せ持つ女を、能という最小限の表現のなかでみせなければならないのがむずかしそうだと思いました。
 「形見の直衣、身に触れて」は後半の名場面のひとつですが、囃子の手組に合わせながら、左右の袖が業平に見えてきて、身体にそっと大事にしまい込むように胸にあてます。「懐かしや、昔男に移り舞」とシオリをするところは、とても切なく感じました。 夫と愛し合った時間、苦しんだ時間、一人の女性の喜びも悲しみもすべて含み込んで、ただ静かに舞う、シンプルですが、その中に人間の一生の深さを表現するというところに、奥行きの深さを感じました。
 「井筒」は男の能役者が紀有常の娘という女に扮し、その女が業平の形見、初冠や男長絹を着け業平になろうとします。男装した井筒の女は井戸の中にその面影を見て永遠の一瞬を悟ります。男の役者が女に扮し、そんな女の哀れを男の肉体の動きで表現するという作り方をしていますが、能のおもしろいところのひとつだと思いました。  
 このように「井筒」という曲は、井筒の女の業平に対するひたむきな愛、堪え忍び、ひたすら待つ女の純粋な愛を、余分なものをすべて削ぎ落とし、女性の心の襞という核心部分だけで訴えるという極めてシンプルで完成度の高い作品だと感じました。 待つことの精神的な辛さ、そして年を重ねるという時間の喪失感、その二重苦の時間の流れこそが、井筒の女のテーマといえるでしょう。


【プログラム】
平成20年11月9日(日)12:30開演
金春会定期能 国立能楽堂
能「井筒」
狂言「鱸包丁」
能「三井寺」
能「融-しゃくの舞」
附祝言




国立能楽堂

(2008年執筆)


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